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周辺の史跡

武市瑞山邸碑

文政12年(1829)土佐国長岡郡吹井村に生まれ、通称半平太、号を瑞山と言い、幼い頃から学問と武芸に励み剣道指南役になります。その後江戸に出て、桃井春蔵に入門し塾頭になりました。安政の大獄、桜田門外の変などを機に尊攘運動が激化し土佐の戻った瑞山は坂本龍馬や中岡慎太郎などの郷士、下級武士を集め土佐勤王党を結成し党首となります。藩内の主流であった公武合体派を退け藩論を尊皇攘夷派に導き、藩政に大きく影響を与えました。文久2年(1862)山内容堂に従って上洛し、この地に住んで各藩士と交わり、翌年京都留守居役となるが8月の政変後、尊皇攘夷派は弾圧され9月に土佐で投獄され、慶応元年に切腹を命じられました。